ワクワクするアイテム、河北新報のいちばん長い日を探していませんか?ぜひこの機会に。
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河北新報のいちばん長い日 [ 河北新報社 ]のレビューは!?
40代 男性さん
自分たちが一所懸命にやったことはわかったよ。それで? そう突っ込みたくなるほど、地方紙の俺たちが、私たちが、いかに頑張ったかという奮戦記をつづった自己陶酔型のノンフィクション。30ページで飽きました。
60代 男性さん
2011年3月12日、ライフラインがすべて絶たれた宮城野区の拙宅に何事も無かったかのように普通に朝刊が配達され、驚き食い入るように読んだことを思い出す。 あの日以来河北新報の涙ぐましい努力に共感し、一度は読まなければならないと購入した。 前半、当時の思い出が重なり何度涙ぐんだか知れない。 吉村昭の「関東大震災」で、大正の関東大震災時デマが飛び交い多くの悲劇を生んだ時でも、中央紙を凌ぐ正確な報道をしていたと書かれている河北新報社の面目躍如たる内容だった。 確かに感動したが後半が良くない。新聞編集の方法、社内事情、社内アンケート、そんなことは興味の対象外。 社内報にでも載せるべき内用だと思う。自己満足といわれても仕方が無い。 前半が力作だっただけに、内用を整理し版を改めることを望みます。 評価としては5なれども後半部分で−1
60代 女性さん
石巻に住む者として大切なに情報の記録として、一か月間の河北新報は今も大事に残しててあります。 何が起こっているのかも分からないあの日から、長時間スーパーに並んで待つ時間に配られた河北新報は、回し読みして戻って来ると、身体に巻いて寒さを防ぎ、大切に持ち帰って何度も読みました。ある朝は新聞の間にパンがはさんでありました。販売店の方にも感謝です。 いちばん役に立った生活情報が横書きで読みやすかったのが、記者の方の機転の発想と苦労の裏話があったとは知りませんでした。今も続いている震災の情報は、被災地に住む者の支えです。今回は妹へ送りました。
年齢不詳さん
とても読みやすい文章で、普段なら一日で読み終えることができるページ数でしたが、被災者の声、それを受けて葛藤する記者たちに、途中何度も胸が締め付けられ一気に読むことが出来ませんでした。 隣県在住ですが、河北新報は職場で読むことができるので、本の中にも出てくる企画物はほとんど読んでいます。 それらを含めた河北新報がどれだけの努力をもって作られたか、知ることができて良かったです。
30代 女性さん
被災地です。3/12の朝、河北新報が届いたのに本当に心が熱くなったのを覚えています。その陰で記者さんのものすごい努力があったのだと、また思いが熱くなりました。
50代 女性さん
凄まじい葛藤の中で 使命感だけで突き動かされた現実 自分が出来る事 突き詰めた究極の選択 お疲れ様でしたと告げたい。 そしてこれからも真実を書き続けて欲しい。 未来の子供達へ 繰り返さない為に
30代 男性さん
内容的には、「石巻日日新聞」さんの新書のほうがよかったです。 どちらもドラマ化されましたが、河北新報社さんはこの本の後もいっぱい 本や写真集をだしています。 記録としてみるなら、別なものをえらんだほうがよいと石巻市民として 思いました。
50代 男性さん
感動しすぎて、なかなか読み進めません。ゆっくり読みます。
年齢不詳さん
地元紙の被災直後の様子を知りたいと思って予約しました。
30代 男性さん
未曽有の大震災により亡くなられました方々のお冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。また東電事故により被害が今もって続いておられる皆様の心中いかばかりかと、悲しみに堪えません。一日も早い復旧復興を心より願っております。 伝 え る と は? 伝 わ る と は? その2文字を深く考えさせられる著作でした。 不肖小生も昔新聞社勤めした経験があるので、大震災に見舞われながらも、報道の使命を果たした河北新報さんに深く敬意を表します。 以前から「不羈独立」と「東北振興」を社是として掲げ、今でも本質的なジャーナリズムの精神を残す新聞社としてあまたある新聞社のなかでも格別の存在感を示していると思います。 震災、津波といった「コト(事象)」ではなく「ヒト(人間)」にスポットを当てた編集姿勢に敬意を表します。 官製発表に頼らず、足で取材した姿勢にも感銘を受けました。 わたくしごとになりますが、小生の大学時代のゼミ生が勤めており、その後どうしているかな?と気になっていたところ、ちゃんと登場していました。家族ともども元気そうで、かつ部下にも信頼されているようで、嬉しくなりました。 以下印象に残った文章。 「われわれは地域の住民に支えられて百年以上、 この地で新聞を出すことができた。その住民が大震災で苦しんでいる。今こそ恩に報いる時だ。わが社も計り知れない打撃を受けるだろう。 だが、いかなる状況になっても新聞を発行し続ける。それが使命であり、読者への恩返しだ」 一力(社主)はそう会議を締めくくった。 「備える」 河北は宮城県沖地震二十五年目に当たる二〇〇三年から、防災関連記事に必ずこのカットを付け、防災啓発に力を入れてきた。 (中略) 「それでも死者・行方不明者合わせて約二万人もの多大な犠牲者が出てしまった。いったい自分たちは何をしてきたのだろう?」 (中略) 啓発に努めるだけで良かったのか。より直接的で実際的なアプローチがあったのではないか。自分たちはほんとうに地元の力になりえたのか。 そして、そもそも報道とは何か? 武田の自問は続く。